広島名城めぐり3
2018-12-05




郡山城を出て福山城に向かった。福山城が今回最後の訪問場所であり、日本100名城の100城目の登城となった。


福山城


新幹線で福山駅を通るたびによく見ていた。いつかはと思いつつ眺めるだけの城だったが今回初めて訪れた。100名城の最後の城として選んだ訳でもなく、たまたま最終になっただけだがこれも何かの縁だったようだ。




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(福山美術館から登り口)

福山城は元和5年(1619年)、徳川の譜代の水野勝成が入封し築いた城である。幕府は勝成を送り込み、資材の現物供与と資金支援までして毛利らの西国大名の監視・防衛強化を図ったと言われている。



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(筋金御門)


福山城は標高20mの微高地に本丸を置き、二の丸、三の丸が囲む輪郭式の平山城である。天守は本丸の北隅に位置し、五重六階地下一階、別に二重三階の付櫓をもつ複合天守で壁面の東・南・西は塗籠、防御の薄い北は鉄板張だったとされる。戦災により焼失したが昭和41年に再建された。



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(天守)


伏見櫓は将軍秀忠が伏見城松の丸にあった東櫓を移築させたと伝えられている。伏見城の城郭建築の遺構としては希有のものとされており、月見櫓も伏見城内にあったものを移築したもので本来は着見櫓だったとされる。水野氏5代、松平氏1代、阿部氏10代と廃藩置県にいたっている。城内をまっわて急いで広島駅に戻った。2014年8月19日に大坂城から始まった100名城めぐりも今回で無事に終えることができた。


[名城]

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